はじめまして、英語を話す自由人@Kanと申します。

一応、トリリンガルです。日々、英語などの外国語習得に励みながら、海外事業の担当として、世界を飛び回る日々を過ごしています。

このブログでは、英語・英会話をテーマに情報発信をしていきます。

受験勉強としての英語は得意なものの、実際に英語圏の人と話せる「使える英語」は全く出来ず、33才まで外国人と満足なコミュニケーションを取る事も出来ませんでした。

でも、自分なりに色々なチャレンジをした結果、今ではネイティブアメリカンとも違和感なくコミュニケーションを取れるぐらいになれました。もちろん、これは私だから出来たわけでは無く、「誰でも」出来ることなのです。

そう、今このブログを見ている「あなた」にも。

そんな「使える英語」を「使えない」劣等生だった僕が、どのようにして上達していったのか、この記事を見てくれているあなたにだけ、話をしようと思います

まず、私と英語との関係についてお話していきます。

受験英語は、もともと超得意でした。

英語を武器に某有名国立大学に入学するところまでは、挫折知らずだったといえるでしょう。

ゼミでは、2年間英語の分厚い本を輪読していて、もう「英語は俺に任せろ」という状態でした。

そんな中で、現実の壁を思い知ったのが、大学の卒業旅行でした。

俺英語がっつり勉強したきたから、単語や熟語は頭に染みついてるはず。

会話なんか海外行けば自動的に話せるでしょ!?

そして選んだのが、1か月のオーストラリア旅行でした。

ここで、大きな挫折に直面します。

Helloから先が言えない

相手が何言ってるか分からないので切り返せない

自分から何か言おうにもフレーズなんか出てこない

宿・ツアーのアレンジ・食事くらいしか用が足せない

悲しかった場面を紹介すると・・・

・日本のことに関心があって色々質問してくれたドイツ人の老夫婦が何を言っているのかよく分からない。とりあえず、脊髄反射的に「俺は〇〇に就職が決まった」と連呼しまくり、プイッとそっぽを向かれる。

・とある島でわざわざナンパして女性を連れて来てくれた英国人の青年には、何度も「あ?」と聞き返すばかりで場をぶちこわし、10分ほどで流れ解散。後に、彼と別の都市(シドニー)で奇跡の再会をしたが、お互いに気まずそうな顔をして無視・・・。

・マングローブのジャングルをカヌーで回るツアーに参加したところ、用意されていたのは3人乗りのカヌー。オーストラリア人ガイド、私、アメリカ人の順に乗ったところまではよかったが、ガイドの言うことが理解できず、私の頭越しにオーストラリア人とアメリカ人が勝手に盛り上がり、1時間ほど水面以外でも浮きまくる。

超傷ついた私は、日本人とつるみまくりました。

当時のオーストラリアは同年代の日本人バックパッカーが多く、バスやユースホステルで石を投げれば日本人状態でした。

日本人と出会えばつるんで酒を飲み、気が付けば、1か月の大半を日本語ばかり使って過ごしてしまいました。

結果、英語よりも日本語が上手になって帰国してしまいました。

この経験がトラウマとなり、英語に恐怖心を抱いたまま、社会人となりました。

会社に入ると、どんなところでも海外案件は発生します。

自分が案件の当事者になることもあれば、サポートで英文のチェックや海外がらみのイベントの手伝い、カウンターパートの接待の手伝いなんかさせられたりします。

もちろん、私は全力で逃げましたよ。

だって、もう英語で恥かきたくないから。

でも、一寸の虫にも五分の魂です。

このまま、英語へなちょこ人間で終わりたくありません。

受験生時代のプライドだけはあったので、当時、留学・駐在候補のセレクションで受験するTOEFLの勉強を2年間コツコツやりましたよ。

・・・もちろん、この努力が報われていたら、いま、こうやってブログなんか書いてません。

いつも、一番勉強していたリスニングがボロボロで、同期の点数に劣るとも勝らないスコアを連発し、セレクション敗退を重ね、年次的にチャンスを失ってしまいました。

さすがに、英語とはサヨナラです。

俺には英語のセンスがないんだ。

というか、俺は英語にもともと縁がないんだ。だから日本に生まれたんだよ。

英語からおサラバし、5年くらい英語から離れた社会人生活10年目。

突然、人事から海外駐在のオファーがありました。

行先は、東南アジア某国。

任期は、3年間。

当然、卒業旅行のあのシーンがフラッシュバックし、人事に押し戻そうとしましたが、色々あってオファーを受けることにしました。(この模様は後々書いていきます。)

オーストラリア時代の生き恥を36倍(1か月×36)も晒し続けるのか・・・

そんな不安に頭を悩ませながら、現地に放り込まれました。

結果はどうだったかというと、余裕で英語を使いながら、3年間しっかりと成果を出し続けることができました。

それは、なぜか。

①私たちが考える、「まっとうな英語」

②駐在の時に実際に必要になる英語

これらには大きなギャップがあるのです。

①から余計なものを削り取ったのが②になるわけですが、

②については、目標が狭くはっきりしている分、必要最低限の勉強で身についてしまう、あるいは、ひねり出せてしまうので、非常に簡単です。

逆に、①は、広く漠然としていて、勉強にゴールがありません。

うっかり手を出してしまうと、手を広げすぎて②の深さ・レベルさえも到達できない可能性があります。

受験英語に毒された私は、①にとらわれてして失敗してしまったわけですが、実際に海外に出てしまったら、目の前の一瞬一瞬を生き抜くために②を頑張るしかありません。

仕事やイベントに遭遇して英語力を試される度に、自分で見つけた教材やオリジナルな学習法を編み出し、組み合わせることで、駐在生活を軌道に乗せることができました。

また、成功者は私だけではありません。

任地では、英語の能力に関係なく放り込まれた、日本人駐在員の友人がたくさんいましたが、そのほとんどが、私と同様に、「へたっぴな英語」で力強く生き抜いていました。

もちろん、仕事でたくさん失敗もしました。

とくに最初の1年間は苦労しましたが、仕事が100%うまくいかないのは、海外だって日本だって同じですし、必ずしも英語が原因とは限りません。

単に、日本でもうまくいかなかったやり方を海外で現地の人にごり押しすれば、そりゃあ失敗しますよ。これについても、私や周りのケースも紹介しながら解説していきます。

そして、今。

帰国して3年ほど経過しましたが、再び英語を話す仕事(海外営業)を始めることになりました。

もちろん、不安は全くありませんが、さび付いた英語のエンジンを起動させるために、少々勉強する必要があります。

昔使った英語を思い出しながら、これから使う英語を磨き上げる

これがいまの私のミッションですが、自分の自慢には興味がありません。

私の愚かな経験、経験から学んだ気付きを皆様に共有しつつ、皆さんと一緒に英語を磨いていきたいと考えています。

・海外駐在のリスクに怯えている方

・海外に出てみたいけど英語が怖い方

・勉強を続けているのに全然英語が上達しない方

そんな皆様のお役に立てる情報提供をしていきたいと考えています。

具体的には、

・「海外駐在あるある」なケースを自分の体験や教訓とともに紹介し、怯えを解消する

・実際に求められる英語がどんなものかを説明し、英語への恐怖を払拭する

・英語上達のハードルを下げ、「必要最小限」でいいことに気づいていただく

ことを目的に、記事を書いていきます。

今後ともよろしくお願いします。